iNAKAのLifelog

30代半ばサラリーマン、現在駐在中が国際情勢、経済、お金、教育のことについて書いています。

【ニュース】イラン暴動を読み解くために。イラン革命

今のイランでの情勢を読み解くために今の政権が出来上がった背景について調べてみました。

知らなかったことを知ることはおもしろい!
恥ずかしながらイラン、イラクの違いも良く分かっていなかったですがちょっとずつ分かってきた気がします。
大人になってからのほうが勉強を楽しめている自分を発見する日々です!

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1979年にパフレヴィ朝が倒れ、イラン・イスラーム共和国が成立した革命。
・パフレヴィ朝:1925年~79年元々のイランの宗教であるゾロアスター教を国教に掲げ、イスラーム聖職者の影響力を排除し、イスラーム以前のイラン固有文化の復興に力を入れていた。

パフレヴィ朝に対して革命が実行された背景は今イランでデモが起きている理由と一緒。
経済成長による国民生活向上を実現できない現行政権への不満です。

当時パフレヴィ朝はアメリカと強い結びつきを持っていました。
国際石油資本による石油資源の開発、独占を推進していましたが国民への恩恵はなく、対米の従属的立場を強めていました。
それが顕著に表れたのが「白色革命」と呼ばれる経済革命で強制的な西欧化政策が不正な国民投票のもと実行されました。(賛成90%)
・石油収入は増えているものの近代化に向けた過度の投資、政府の腐敗が原因。これが地方⇒都市への人口流入、農業離れ、食糧輸入、物価高騰、急激なインフレを起こす。
・白色革命:土地改革(農耕地の分配、森林国有化)、婦人参政権、労働者への利益配分、国有工場の払い下げ等。同時に議会機能が停止され、皇帝独裁権限が強化された。


これにより反対運動が起こりましたが政府により鎮圧、主導したとされるシーア派の宗教指導者であるホメイニ師が国外追放となる。

その後、10年以上パフレヴィ朝続きますが1977年、ホメイニ師の長男が暗殺され、1978年にホメイニ師を誹謗する記事が新聞に掲載、政府の陰謀説が流れたことがきっかけでデモが起こり暴動に発展。
政府による統治が困難になり国王がイランから出国。
追放されていたホメイニ師がパリから戻ってイラン革命成立。
これによりシーア派によるイスラム原理主義を掲げた政教一致国家体制、イラン・イスラーム共和国の設立となりました。

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最後に非常に上手に纏まっているブログを紹介して終わります。
(上から目線ではありません)
もっと詳しく、同時にイランにまつわる石油に関わる話が知りたい方はこちらをどうぞ。
blogs.yahoo.co.jp


今日はこんなところで。
でわ。